Dookie's 込谷勇樹君へ捧ぐ
2016年 04月 30日
初代のS30Zで、同い年の1973年式。しかも左ハンドル。
それが理想だった。
色々あって手に入れたのは2002年。
チューニングを決断したのは2004年。
その時チューニングを頼もうと思ってた八王子のライジングというショップが、
平和島で開催される“チューニングパワーズ”というイベントに出展することを知った。
「ここに行って、お店の人に会って話を聞いてみよう」。
なんか店に行くよりイベントで話を聞く方が気軽な感じがして、平和島まで行ってみた。
そこで見たクルマがヤバ過ぎた。
ライジングのブースに展示してあったのは、
ハウス・オブ・カラーのキャンディブルーで塗られた、240Z。
ワンオフのワイドボディを纏い、大径でブッ太いホイールを履いてて、凄いエンジンを積んでいた。
それはプレジデントが積んでる排気量4.5リッターのV8エンジンをツインターボ化していて、
インテークのパイピングはV8エンジンならではの綺麗なシンメトリーレイアウトで、しかもチタン製だった。
インテリアもヤバかった。
ビレット削り出しのメーターマウント、
シートメタルでイチから作ったコンソールと、異常な作り込みだった。
“450Z”という名前が与えられたそのクルマは、
とにかく今まで見たことの無い迫力とクォリティだった。
“カスタム”ではなく、“チューニング”の世界に、
こんな凄いクルマを作る人がいることに、心底驚いた。
自分のZは、この店に頼むことに決めた。
後日店を訪れると、あの凄いZはライジングと同じ場所で、
グリーンデイのアルバムタイトルが由来の“Dookie's”という名前の店を構える、
込谷君という人のクルマだと知った。
「とにかくあの450Zにヤラレた」と伝え、
エンジンはライジングの伊藤さんが、全体のファブリケーションは込谷君が行うことに決まった。
2005年に始まったZのチューニングプロジェクトは、雑誌『デイトナ』でもレポートを掲載。
誌面掲載用の写真を撮る必要もあって、こまめにショップに顔を出しているうちに、
同い年という事もあって、込谷君とはどんどん仲良くなった。
込谷君もまた、“同い年の愛車”に拘りがあって、450Zは1973年式ということも知った。
そんなある日。込谷君があることに気づいた。
俺のZと込谷君のZは、車体番号が20番ほどしか違わなかったのだ。
「マジか!」。
お互い顔を見合わせた。
この番号差なら、恐らく同じ船でアメリカに輸出されたのだろう。
その2台の1973年式ダットサン240Zは、別々のタイミングで日本に戻り、
今こうして八王子の片隅で同じ工場に入っていたのだ。
何という偶然。
さらに言うと、1973年式のZを所有する同じく1973年の俺と込谷君は、誕生日が1日違いだった。
俺が7月5日。込谷君が7月6日。
「気持ちわりーな!」。
車体番号まで近かった事を知った我々は、思わずそう口にした。
その後、Zはエンジンだけでなく、各部も常にモディファイを施し続けた。
USパーツを積極的に投入しつつ、それを込谷君が抜群のスキルで作り込む。
“何か凄いZに乗っている”事が引き金となって、クルマ関係の原稿仕事も増えた。
ドラッグレースも走ったし、
“チューニングパワーズ”にも出展したし、
何故か日産ディーラーにも展示された。
全てのメカニカルパートのモディファイが一段落した段階で、
いよいよ次のステップに進むことにした。
ボディを仕上げて、2014年の“ホットロッド・カスタム・ショー”にエントリーすることにしたのだ。
10代の頃からの憧れである“ホットロッド・カスタム・ショー”への愛車出展は、
果たして“ベスト・ジャパニーズ・カー”アワードの獲得という最高の名誉を得て終わることができた。
込谷君が作り込んでくれたZが、また新しい景色を見せてくれたのだ。
そして2015年春。
込谷君から癌であることを告げられた。
同い年の、誕生日が1日しか変わらない男が、癌になってしまったのだ。
治療の経過はその都度聞いていた。
以前の様に思うように仕事が出来ないことも聞いていた。
でも、元気そうに見えた。
元気でいて欲しかった。
2016年、3月17日。
仕事での渡米を翌日に控えたタイミングで、Zの不調に関して込谷君に電話した。
「今調子悪くて病院でさー」。
これが最後の会話だった。
3月23日。
帰国前日のLAのモーテルで、込谷君のクルマ仲間から危篤を報せるメールが入った。
3月24日。
成田に着いて携帯電話の電源を入れると、残念過ぎる報せが入っていた……。
1年間に及ぶ闘病空しく、込谷君は逝ってしまった。
癌であることが発覚した昨年春、
「俺、来年、桜見られるのかな」と言っていた男は、
その桜を見ずに逝ってしまった。
葬儀から1ヵ月が経ち、
東京の桜もすっかり散ってしまったけど、
ようやくここに込谷君の事を綴ります。
俺のカーライフを素晴らしく、豊かにしてくれた
込谷勇樹君よ、本当にありがとう。ありがとう。
10年前
仙台ハイランドにて
HOT ROD CUSTOM SHOWアワード授賞式
BEST JAPANESE CAR!!
(Photo:Akio Hirano)
現在発売中の『Gワークス』2016年6月号より